お盆の行先

私の父は県北部、母は県中部と、地域の違いこそあれ、生まれた県は同じである。

私も父母と同じ県で生まれた。

ぬくぬくのうのうと育てていただき、今でも親許を離れずに、生まれ育った家で暮らしている。

自立をしたいが経済的に無理だし精神的にも踏ん切りがつかぬ、という話は気が向いたときにしよう。

世はお盆真っ盛りである。

そろそろ下りの新幹線は落ち着いた時期だろうか。

この時期になるときっと、東京駅のホームに各局のカメラが集まって、東京土産らしきものをたくさん抱えた、いかにも幸せそうな家族連れを捕まえて(就学前の子どもがいるところがターゲットになりやすい)、お盆はどのように過ごされますか?などと恒例の問いかけをする。

回答もおおよそ決まりきっている。先祖のお墓参りをして、とか、久しぶりなのでゆっくりします、とか、そんな内容。

お約束のやり取りだけれど、私には分からない感覚なのだ。

私のようなケースはそう珍しくはないと勝手に思っているけれど、だけど私は私と同じな人と出会ったことがない。

もしかしたらあるのかもしれないけれど、お盆の話はしなかっただけかもしれない。

サービス業等ではない限り、大抵のところはお盆ってお休みだから、その期間に会わなかっただからなのかも。

 

父の実家と母の実家はそれなりに離れているけれど、でも、それなりってだけだ。

それなりってどれくらいかというと、車で30分くらい。それなりに、近い。

実家にはお仏壇があっても、お墓はない。当たり前だ。

だけど、各家や親類のお墓のどれも県内にあるし、変な話だが、アクセスがいい場所なので、両家をまわって、すべてのお墓をまわっても、一日あれば十分に終わってしまう。

小さい頃の私は、普通の人が過ごすお盆がうらやましかった。

ちょっとした旅気分で、空気のいいところに帰るんだろうなあって。

もしかしたら、都会の人たちにとって、地方にある両親の実家や、そこに住む祖父や祖母といった存在は、特別なものかもしれない。

私にとっては、そこまででもなかった。父方の祖父の家(今は伯父の家)には自宅から歩いてせいぜい15分のところに位置しているし、母方の祖父の家も車で行けば30分ほど、電車を使っても1時間くらいで着くようなところだった。

どちらの実家も、ちょっと歩けばコンビニがあるくらいの街にあった。

普通の人のお盆や祖父母の家が、非日常の中にあるとしたら、私のお盆や祖父母の家は限りなく日常に近いところにある。

あと、父の家がしきたりにはちゃんと従う家(古い家です、一応農家でした)なので、お盆はもちろん、春秋のお彼岸にもちゃんとお墓参りをする。

私たち兄弟が社会人になり、お休みの日がばらばらになった今は、両親二人だけでお墓をまわるけれど、昔は朝早く(4時半!)に起こされて、眠い目を擦りながら兄たちとともに後部座席に押し込まれ、鮮烈なまでの青臭さを放つ切り花を抱えさせられ、山の上にある父方の墓地に、家族みんなでお墓参りに行った。

お彼岸のときも同じような流れなので、冬場を除いて、およそ3,4か月に一度はそんなことをしていた。

この前行ったばかりじゃない、と思ったことも、実は何回かある。

幼心ではあまりその意味を分かっていなかったので、朝早く起こされて、線香を上げにいく儀式(というほどクラシカルなものでもない気がする)のようなものだと捉えていた。

本当に小さい頃は、死んだ人に祈る意味は分からなかった。

黒歴史を明かすと、小学校中学年くらいまでは自分は魔法使いだから、死んだ人もいつかは生き返させられると本気で思っていた。

小学二年生のときに、父方の祖父が亡くなった時も、本当にそう思っていたから全然悲しくもなかった。

小学校高学年になり、生まれたすべてのものはいつか死ぬという、世の理がやっと分かって、その時に祖父のことを思って泣いた。

親しい人が死んで泣くようになったのは、それからだったと思う。

中学生に上がって、母方の祖父が亡くなったときは号泣した。

亡くなった前の晩、お葬式の夢を見た。泣いて起きて、そのまま茶の間に行ったら、お祖父ちゃんが亡くなったのよ、と父母が話したことをよく覚えている。

 

私は普通の人のお盆がうらやましかった。旅行気分で、会えない人に会いに行けるから。

それは逆に言えば、旅をしなければ会いたい人に会えないということだ。

社会人になってから、三年くらい前に無職だった時を除き、私は盆休みを取らずにいる。

お盆はどうしても人がいなくなるし、私は地元の人間だから、休みは週末でも事足りる。まあ、近年は両親だけでまわることが多いんだけれど。

気持ちの持ちようなんて、ひどく曖昧なものだが、いつでも会えるし参りに行ける。

礼儀には反するのかもしれないけれど、そう思えば、地元で過ごすお盆が退屈なものだとしても、私は恵まれているのかもしれない、と感じるのです。

会社のPCで日記を書き始めたので

こっちでも日記を書き始めてみる、テスト!

日記を始めようと今年の始めくらいからずっとずっと思っていまして、何故ならばTwitterはてなハイク(←ここ重要)に代表されるいわゆるミニブログと呼ばれる衝動を叩き付けるにはぴったりだけどぐったりと長い文章を書くにはあまりにも不向きなツールばかり使っていて、長文を書く力が目に見えて衰えてきていて(もともとそんなものはなかったけれど)、だけど前に使っていたはてダは諸々の理由で使用出来なくなりましたので、じゃあ、せっかくはてながブログなんて最早時代錯誤にもなりつつある長文コミュニケーションツールを使おうじゃないか!んでちょっとオシャレな見た目にして、そんでもってタイトルは小難しい四字熟語とか使っちゃって、いかにもはてな女子!!(はてな女子の定義は確立されていませんし、そもそもはてな女子って単語が存在するかも分からん)って感じのブログ!!これから私毎日ブログ書く!バカだけど馬鹿は馬鹿なりにインテリジェンスっぽい内容でぐいぐい攻めるようなブログを書くぜー!って妄想をして、箱を作って、放置していました。

いないとは思いますが、寸善尺魔とか鳶飛魚躍って四字熟語の意味を求めてやってきた方はごめんなさいでした。何一つありゃしねえ。

ブログを作った時期が、前の職場が潰れて首ちょんぱって時だったので、久しぶりに職を失うことになり、どうしようもない世の中だけれど、伸び伸び生きてくぞって意味を込めた命名でした。今はどうしようもない職場でどうしようもなく働いているけれど。

で、会社です。会社のパソコンで秘密の日記を書き始めたので、これは負けじとブログを書き始めるべきじゃあないかと思って、忘れかけてた、ブログとして生まれてもいなかったブログを書いています。あれだ、画竜点睛みたいなものだよね、ブログの初めての記事を書くってヤツは。あとは、女子ならありがちの、かわいい箱とかバッグとか買ったのに、結局使わないで飾って満足するアレ。アレに似ている。ちなみにまったくブログ記事を書いていなかったので、三日坊主ともまた違うんだな。

話が逸れた。会社で日記を始めました。

日記というより、愚痴の掃き溜めです。誰も潜らないような深い階層に、ダミーの名前を付けて、表向きもちゃんと仕事で使うような形のファイルに仕立て上げて、どろどろしたものを吐き出す場所を作りました。

私は派遣社員なのですけれど、そんなに重い仕事など任せられてはいないのですけれど、そんな身分で文句言うなよこのタコとか言われそうですが、入ったその日に逃げることを誓うくらいのあんまりなところで、でも結局逃げようとしても、逃げる場所がないし、業務の関係上、来年4月まではいないといけなくなってしまったので、せめてもと思い作ったのです。ところでマー様すげえ、16連勝だ。

で、そんな誰にも見られずに終わるようなところ(職場のPCはXPなので、今後半年の間に確実に変わる)でひっそり書いて、この腹に貯めて似て凝縮させたどろっとしていて、喉にしつこく絡みつきそうで、表皮くらいは溶かせそうなこの気持ちを、一切表に出さないでいい子ちゃん(※ただし仕事はできない)で終わるのも嫌なので、定期的にこっちにも吐き出そうかと思いました。

普段は日常生活のことを書きます。

ときどき勘違いした記事を書きます。馬鹿が書いているので、クオリティは低いに決まっています。

それでもよろしくお願いします。

 

パソコンがあついようお兄ちゃんって熱出してるので、ひと休憩入れますわー。