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才能ってどこにあんの?

絵が描きたいと思い立ち、とりあえずは要らないノートや余ったメモ帳なんかにシャープペンで何かしらかを描いたりすることがある。

正直、下手である。

自分が下手だという事実を認めたくなくて自分の絵から目を逸らし、同時にやる気も失せてペンを机に放る。

そしてまた、素敵な絵が描けるようになりたいと思い立って、適当な紙とペンを持つのだけど、同じことを繰り返す。

私は、絵が下手だ。こんな言葉を使いたくなんてないが、そもそも才能がない。

それを自覚したのは、小学校高学年の頃だったと思う。

 

絵を描くことは幼いころから好きだったようだ。

物心付かぬ頃から「かみー! えんぴつー!」と叫んで走り回り、手にしたコピー用紙と鉛筆を手にたくさんたくさん絵を描いて、鉛筆を持ったまま紙と机に頭突っ伏して寝ていたらしい。

描くという行為そのものが好きなのは、今も昔も変わらない。

ただ、昔から自尊心だけは高い人間なので、人と違うものが描けないことと、そもそもちっとも上手く描けないことが凄く悔しかった。

小学5年生くらいの時に、仲良しな子たちが集まって、マンガやゲームのキャラではない、オリジナルキャラクターを考えて描こうって感じのことを休み時間にやっていた。

私はどこかで見たことがあるキャラとか絵しか描けなかった。自分で分かっていたし、友人に指摘されたこともある。

小学生の描く絵なんて、何かしらのメディアの影響を強く受けていて、絶対的なオリジナリティを持つ絵やキャラなんて天賦の才でも持っていなきゃ出来ないと思うんだけど、悲しいかな、「天賦」まではいかずとも、(私から見れば)確実に才能を持っている子が同学年にはたくさんいたのだ。私はそれを中学生になってから思い知ることになる。

 

中学校では、運動部か美術部かをそこそこ迷って、結局美術部を選んだ。

詳細に書くと冗長な文章になるのでざっくり書くけれど、要は才能がある奴らばっかり入部してたんだ、その美術部。

私の学年で美術部に所属していた子は、私を含め15人。

そのうち12人は3年間で何かしらの賞を獲った。私は何も獲れない3人のうちの1人だった。

(月1回の全校集会での賞状授与の際は、誰かしらが檀上に上がっていたと思う。

 名門っぽく見えるが、全員が多かれ少なかれオタクっぽい資質を持っていたので、全くそうは見られていなかった)

今にして思うと(これは悪い方の思いで補正が掛かっている)、顧問の先生は才能を愛する人だったんだと思う。

というか、同学年で意外な着眼点や独創的な発想をする人たちが多かったから、ありふれた思い付きしか出来ない私なんかにはあんまり時間を掛けたくなかったんだろう。

最初に描いて色を付けた絵を、絵はお前の人形遊びじゃないって言って怒鳴りつけたし。保護者の部活参観の日だったので、母にも叱られた記憶がある。

なんでお前はこういう画一的な視点しか持ってないの、こうは考えないの、違うでしょここはこう塗るんでしょ!って何度も遠くから叫ばれて怒られた。

先生のいないときは、友達とオタク的な話が出来て楽しかったけれど、先生がいるときは、いつ怒鳴られるかが怖くて、正直なところ、作品制作が進まなかったし、私だけ進行が遅くてコンクールに出せないってことが時々あった。

他のみんなは、本当に上手かった。そしてそういう人は、やっぱり先生に褒められていた。

3年生になった春ごろに、毎年市で主催している写生大会があって、その時先生に、

「お前たち、今年こそは賞を獲るんだよ、その実力はあるから」と言われた。

結局賞は獲れず、でも先生の言葉に焦り、入賞、入賞と呟きながら絵を描いていたら、

「入賞するかしないかは問題じゃない、絵はそうやって描くものじゃない」

って言われた。今にして思うと訳わからん。その頃の私は愚かしいほど素直で言葉の裏とか考えない馬鹿だったので、鵜呑みにしたけれど。

 

結局長くなっちゃった。なんか絵がうまい奴らばっかりいる美術部に入っちゃって、ここでもうまく描けなくて、先生にも怒鳴られて、絵はともかく美術はもういいやってなっちゃったんだと思う。うん。

 

コンクールに出せば毎回入賞!ってくらい才能のある子が3人くらいいた。

当時(今でも?)私のいる街に美術学科のある高校はなく、3人とも普通高校に通った。

その後、美大に入った子は2人。

1人は主婦の傍ら、街のフリーペーパーか何かにカットを描いているらしい。

もう1人は映画を作っているそうだ。

賞を獲る人たちは、私からすれば遠く、だけど大きな存在で、すげえないいなすげえなうらやましいねたましいと思っていたけど、その中でも美大に行くような人間はちょっとしかいなくて(それでも12人中2人だからそこそこ割合高いか)、さらに曲がりなりにも?芸術の世界で食って行こうとしているのは1人だけ。しかも、大成できるかどうかは分からない。

芸術で食っていけなくてもいいから、ちょっぴりだけの才能、ほしかったな。

努力嫌いの私のような人間にはなくて必然だろうか。

 

今現在、私はまた、絵を描こうとしている。絵というかイラストね。

きっかけは、(自分から見れば)才能の塊が、真横でイラストをいとも簡単に作り上げていく様子を見て、どうしようもなく触発されたから。ちなみにこの人は美大等には行かず、普通の大学へ行った。

ほんっとーに上手い。ふわふわしていて可愛らしい絵を量産している。

私が思いつかないような構図やポーズで、十中八九が可愛い!って連呼する絵をあっという間に描き上げる。

最近(と言っても1年くらい)、彼女と食事したりネカフェに籠ってなんかする機会が多いので、メイキングだ!リアルタイムだ!と思って見るけど、レベル差ありすぎて参考にならない。

今となっては才能なんてどうでもよく、結局努力しなけりゃ得られるものなんてないんだから、好き勝手やって、自分の満足する絵を描けるようになればいいかなーと思ってる。やっぱり人に認められたいって気持ちもあるけれど。

ああ落としどころが分からない。

才能って憎たらしいものは、ある人には溢れるくらいあるし、ない人には涙も枯れるほどない。私はない側の人間。

でも、才能を持っていても、それで生きていけるかなんて分からないし、芸術とかエンターテイメントの方面は結局のところ、自己満足するかしないかなのかなと思うようになってきました、ここ近年。

だけどだけど、そう思うようになるには時間が掛かったなあ。

 

あ、才能なんて関係ないとか、結局才能なんてみんな同じで個人の努力の差だとかいう人がいると思うけど、それは「出来る」人間が上から下を見下して言う残酷な言葉だと思います。

努力するかしないかってあるけれど、うまくなっている実感が得られなければ、努力する気にもならないよ。