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monomyでオリジナルアクセサリーを作ってみた記録

初めに、この記事はmonomyというサービスを利用してオリジナルアクセサリーを実際に作成した記録です。
なぜこのような宣言をして書くのかというと、私自身が利用する前に同様の記事や感想を探してみたものの、
ほとんど見つからなかったためです。
要は体験談が皆無だったのです。それならば、レッツ人身御供。
もしもこの手のサービスの利用を考えている方がいらした時に参考になれば幸いです。

ではご興味のある方は「続きを読む」からどうぞ。

 

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春は過ぎ去ってしまい、夏は翳って、秋は侘しくあったけど、しかして冬がやって来る。小西明日翔『春の呪い』全2巻感想

ポータブックなるものを購入してしまったので
(昔からpomera愛好家? というほどでもないが、DM10の頃から使っていることには使っている。
 DM10は塗装がベタベタになってきたのでお蔵入りしているが、DM100はまだまだ現役)
日記代わりにブログでもやってみようと思うのだが、例によってアップデート地獄である。
なので、今この文章はとりあえず入れたTeraPadさんで入力しています。
そもそもにしてポータブックさんは酷評も酷評を受けていてニッチというか変なPCを使い捌くドM向けのような評価を
受けているようですが、趣味の小説を書いて時折ブログを書くという用途ならば必要十分でしょう。
欲を言えばフリゲをプレイしたいけど、そこまでは望むまい。
ああでもヴェスタリアサーガ……無理そう。
ATOK一太郎を入れたらそれでいいことにしよう。
あと便利そうなエディタ。うんうん。

それはともかくとして、タイトルの話題。
6月にですね、『春の呪い』という漫画が面白いと聞き、
pixivで1話が無料公開されていたので試し読み(※現在は2話まで試し読みできます)、
とても惹かれる(引かれる、という表現の方が正しいか)お話だったのでkindleで1巻ぽちー、
2巻の発売を心待ちにほんと心待ちにしていて、コミックゼロサムの12月号で表紙を飾っている上に最終回掲載、
もしかしたら後悔するかもしれないけど、この表紙と最終回のためにゼロサム購入。
そして12月24日に日付が変わると同時にkindleで2巻をぽちっ。
先が読みたくて、結末が知りたくて、仕方がなくなる。
それぞれの思いに締め付けられ、それでも生きねばならずに足掻く彼らを見届けたくてたまらない。
主要人物らの背景ゆえに、確実に人を選ぶし、もしかすると生理的嫌悪感を抱く人もいると思う。
それを越えてまで読んでほしいとは思わないが、「苦しい」とも「切ない」とも言い切れない感情を
誰かと共有したくて、できれば一読してほしいと願ってしまう、素敵な物語でした。
以下、概要とネタバレ感想。
(ネタバレ感想は部分的にはかなりぶっちゃけてますのでご注意ください)

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終わる夏、終わらずに続いていってしまうもの(私の反省)

私の2013、夏の思い出は、半日しかなかったお盆休みです!

数年間いろんなところで働いてきて、初めて取ったお盆休みでした!!

有休が発生していなかったので無給休暇です!!

友達と遊んで飲んで食ってなくなりました!!

お金も無くなりました!!!

……前置きはともかくとして。

今年の1月からろくでもない派遣会社に登録しまして、これまたろくでもない職場で働いています。

その職場っていうのが学校です。もちろん教える方じゃありません。支える方です。

何だかいい響きですね!

だけど生徒にも先生にも無理難題押し付けられて苦しむ中間管理職的な部署だよ!

よく求人雑誌に「人気の学校事務!!」なんて広告が載るけど、いや~、そこまで憧れるようなものでもないんじゃなかろうか。

自分のポジションの派遣さんは結構な頻度で辞めてる。

学校事務の正社員と聞くと、何ていい職に就いたの!いいわね!って羨まれ妬まれること必至だけど、正社員さんも1,2か月に1人は辞めて、すぐに新しい人が来ます。

そんな新陳代謝のいい我が事務室の最下層、雑用係を私はやっているのです。

何でも、歴史のある学校は扱いは雑じゃないし給料もまあまあってお話を聞いたので、狙い目はそういうところなんでしょうねえ。

証明書発行しますよー、とか、講師の先生来ないから連絡取ってみるー、とか、授業の資料を山ほど刷らなきゃ!などなど、下っ端なので簡単だけど量は多い仕事をやっていたりやっていなかったりするのですが、夏からは入学関係のお仕事もするようになりました。

 

入学? まだ夏だろう? とお思いの方がどれほどいるか分かりませんが、気の早い専門学校や大学では、もう募集が始まっています。

私の派遣先も、来年度もしくはそれ以降の稼ぎを得るために今の時期から意欲満々な(もしくはさっさと進路を決めたい)学生を青田買いする学校のひとつです。

私の仕事は、願書をチェックし、不備がないかを確認し、エクセルに打ち込みして正社員さんのチェックに回すという、ごく簡単な仕事をしています。簡単だけど、不備はよくあります。

ちゃんと、ちゃんと要項読もうよ……!

それか誰かに見せなよ……!

ハンコがないよ!返信用のハガキがないよ!写真貼ってないよ!住所が書いてないよ!!

こんな不備は日常茶飯事です。お願いだから確認してください。

願書と一緒に奨学金等の申請書類が同封されていることも多々あります。

この2年間で、奨学金や学費免除の申請をする子(もしくは家庭)は急増したそうです。

理由は、震災。

そういう申請をするためには、被災証明とか、所得証明とか、あとはああだったりこうだったりする証明書を添付して頂いています。

そういう書類を見るだけで、胸が痛みます。

私の住んでいる場所は全国的に見れば被災地なんでしょうけれど、内陸でしたので、せいぜい自宅の風呂が1か月間ほど使えないくらいで済みました。

だからかもしれません。車で1時間と掛からないところに本当の被災地があるのに、震災のことや、そのために今も大変な苦労をされている方がいらっしゃることを、忘れていた。

忘れていたというより、自分には戻ってきた平穏に呑まれて、震災があったという事実を「ありふれた日常」のものにしていたのだと思います。

大きな地震があった。津波が来た。多くの人が亡くなり、多くの人が苦しんでいる。

それは事実であり、今も続くことだけれども、だけど自分と線は繋がっていない、別の問題として認識してしまっていたのだと。

 

震災の起きた2011年、それからの半年間は毎日、何かしらの形で震災のことが報じられていました。

めざましテレビで毎朝、偽善のようなお手紙コーナー(失礼)があったことを覚えていますが、やはり半年程度でなくなったと思います。

半年を過ぎてからは、全国規模では報じられなくなったと思います。

その時は私、とても悔しかった覚えがあるのです。ああ、こうして風化していくのだなと。

クローズアップ東北を見ては、どうしてこれを全国で放送しないのだろうと憤ることもありました。

忘れたければ忘れればいい、辛い思い出なんて。だけど記録には残しておかなければいけないし、誰かは覚えていなければいけない。

それが東北の人たちだけなんて、ひどいじゃない、なんてことを思っていたのです。

だけれども、震災からおよそ2年半後の私は、東北の人間なのに忘れた側にいました。

 

震災は終わらずに、続いていくようです。ずっとずっと。

大切なものをたくさん失くした子たちがいます。

それでも学び続けたいと懇願する子たちがいます。

今日もうまくまとめられないですけれど、学びたいと願う子たちが被災地域にはたくさんいるけれど、経済的事情で学べない子ってたくさんいるんだと思います。

願書を出して、色んな申請をする子は「まだ」経済状況がいい子なのかもしれない。

本当は、願書を出せず、涙を呑んで就職の道を選ぶ子がいるのかもしれない。

また、奨学金等の申請をしても、全ての子が受けられるわけではない。

あんなろくでもない学校にすら、生活が苦しくても行きたいと言ってる子たちがいる。

ちゃんとした学校にはもっともっとそういう子たちが多くいるのでしょう。

せめて、どんな状況にあっても、勉強したければ勉強が出来るようになってほしいと思います。

 

やっぱりうまくまとまらない。

「木」を作らせるなら「森」を見せてください、お願いします。

何年か前から派遣社員として働いています。昔から今に至るまで、何にも持っていない空っぽな人間なものですから、就職活動に失敗しました。正社員として働いた経験がありません。無職で過ごした期間もあります。

私みたいな何にもない人間でも、ある程度の能力が認められれば(あるいは都合のいい人間と判断されれば)、働かせてくれる派遣という制度に私は感謝している部分が少なからずありますし、労働者の3割超が非正規雇用となり、更に増加する気配もある昨今、非正規雇用を正規雇用にする施策より、非正規雇用でもそこそこには生きてはいけるような世の中にした方がいいんじゃないかな、と個人的には思っております。どんな雇用形態でも生存権は保障しておくれよ。ただ、弱者救済を表に掲げる政党って胡散臭いところが多いから、そういうのは信じないことにしてるんですけど。

 

さて、それは今日の本題じゃない。

ずーっと派遣社員、即ち下っ端として働いていると、仕事として与えられるのは大抵単純作業です。

データの打ち込みや計算、各種資料の大量印刷や発送作業、等々。

私が働いてきた範囲の中では、派遣社員もしくはそれに類する者は「考える道具」として扱われていました。

ある程度までは自分で考えて行動し、高度な判断が必要な場合は指示を仰ぐ道具です。

道具でも下っ端でも一生懸命働かせて頂いて、お飯を美味しく頂戴いたしますよ。

だけれど、結局最後に何を得たいのか、何を作りたいのか、どうしたいのか、ということを教えてもらえないと、ただの単純作業も捗らないんです、私の場合は。

昨日の出来事です。

私が現在の会社に勤め始めて5か月経ちます。主にデータ入力をしていますが、昨日になってようやく、そのデータを入力して最終的にどんな結果を得たいのかを教えてもらえました。ああスッキリ。

本当はあやふやにしちゃいけないことだとは分かっているんですが、その数値や記号にどんな意味があって、それを正確に入力することで何が得られるのかが分からないと、適当でいいやーってなってしまう。

私に仕事をくれる人が、いつも社内にいるのならば、逐一教えて頂いて、その意義も一緒に学べるのでしょうけれど、ほとんど社内にいない人たちなので聞けません。1週間2週間出張で丸々いないなんてざらです。勤め始めてからほっとんどの期間で放置プレイ食らってますよ。

それはさておいて、突然ですが仕事を炊飯に例えます。

 

A.精米する

B.何合炊くか決めて米を量る

C.米を研ぐ

D.水加減を調整する

E.炊飯器で米を炊く

F.炊きあがったご飯を茶碗に盛りつける

G.完成

 

この一連の流れのCとDを任せられたとします。

美味しいご飯を食べるためには水加減が重要です。

また、米研ぎが不十分で糠が落ち切らないご飯は美味しくありません。研ぎすぎもまた然り。

だけど、「美味しいご飯」ってどんなものなのかは、見たり食べたりしなければ分かりません。

お米を研ぐにしても、どれくらい研げば丁度いいのか分からないかもしれません。

水加減とか研ぎ具合を均一化する手段として、マニュアルを作成するって手があるでしょう。しかし、マニュアル化したところで結局、完成品を見て、自分の手が携わったものが最終的にどんな形になるのか、ざっくりとでもイメージを掴まないと仕事ってやり辛いし、何よりモチベーションが上がりません。私の場合は(←逃げの言葉)。

 

派遣社員等、とにかく下っ端さんに単純作業を任せるときは、単純作業そのものだけみっちり仕込んで、うまく行く場合もあるかとは思います。

だけど、できれば全体がどういう流れで動いていて、最終的にどんなものを作り上げたいと考えているのか、そのために単純作業のフェーズではどんなことに気を付ければいいのか、ということを、末端の派遣社員にも教えてもらえると嬉しい。

少なくとも私は嬉しい。その方がちゃんと仕事に関わっている!って実感できる。

昨日の出来事が、本当に些細なことなのにとてもスッキリしたと感じたのは、たぶんこういうところの説明が今までほとんどなかったからだと思います。

派遣社員は「考える道具」だけど「感情のある道具」でもあるから、役に立ってるって実感がないと、ただの道具よりも動かなくなるので、取扱いにはお気を付けください。

風立ちぬを観に行きました

美しければそれでいい

 

 

(あえてのKAITO)

(ありふれた感想です、新しい発見などはございません、ご了承ください)

 

それほど興味があるわけではないけれど、できれば公開初日に観に行きたかった。

結局公開からおよそ1か月経った今日に観に行きました。

普段の週末であれば、そこそこ人がいれば賑わっている方の、地元の小さく良心的な映画館に行ったのですが、ロビー内がごった返ししていて、その場にいたお客の半分以上が「風立ちぬ」を観に来たらしく、さすがのジブリと驚いた次第です。

 

客層はそれこそ老若男女。体感ですが、普段映画を観に来ない(ジブリだから観に行く)ような方々が多いようでした。

前2列以外の席はすべて完売。実質としては満席のようなもので、公開1か月で人気冷めやらぬ様子のジブリ映画はやっぱりすごいなあ、と思いつつ着席。

隣の3人組のオバちゃんうるさいなあとか(上映中もぺちゃくちゃ話したり、携帯電話の操作をしたりとなかなか素敵なマナーをお持ちの淑女様方でした)、前の席でファッション雑誌を広げている若いねーちゃんたちが楽しめる映画なのだろうかと余計な心配をしているうちに照明が落ち、予告編開始。そののち本編へ。

 

感想は正直なところ、一言では何とも書き表せない。

多くの方が仰られているように淡々としていて、退屈で、睡魔に襲われることもありました。最初らへんがね、きつかった。

視聴者にどんな場面かを飲み込ませることをせず、すでに出来上がったキャラクターでころころ話を転がして、物語は次へ次へと進んでいきます。

それで視覚的に爽快であるとか、わくわくするような絵であればそれに引っ張られるようにしてお話の中に入っていけるのかなと思ったけれど、悲しいかな、スクリーンに広がるのは緑の風景とか、机とか、時々飛行機。

場面が変わるごとに前の場面から随分と(年単位で)時間が経過するなど当たり前で、幼少期以降、二郎の外見にあまり変化がないので、前の場面からの繋がりが分からないと思うことが多々。ただし、これは序盤の特徴で、中盤からはおよそのシーンに繋がりがあるので、そこからは集中して観ることが出来ました。

要約すると、場面切り替えが頻繁にあるので置いてけぼりを食らうってことです。

敢えてやっているのだろうし、およそ80年生きた人の反省をたった2時間で辿るのだから、仕方なしか。しかし、分かりにくいと私は感じました。

 

映画の内容的な感想(と、この記事の一番上に「美しければそれでいい」を置いたわけ)。

 

・夢

・美しい

・煙草

・天才

・人生の創造的時間

 

このあたりがこの映画の根幹にあるものでしょうか。

特に「美しい」は二郎が連呼するので、嫌にでも耳に残ります。

また、煙草を嗜む描写が多いことも特徴です。煙草嫌いの方には辛い映画なのは確かでしょうよ。たとえこの映画に時代背景に口を出すことが無駄と分かっていはいても。私の場合は父と兄が愛煙家なので全く気になりませんでした。

この映画で描かれている堀越二郎さんの本質は、多くの方が指摘されているように、人間性に欠けた天才なのでしょう。

その生き方はクリエイターの方から見れば理想に映るのだと思います。

幼いころから思い描いていた夢をひたすらまっすぐ追い続け、最後には空の向こうにある夢を掴むのです。自分が作り上げた、「美しい」飛行機で。

彼は、自分の作り上げるもの、自分のそばにあるものが美しければそれでいい人間のように私には見えました。

あくまで私個人の意見なのですけれど、菜穂子のことも結局はただ美しいから結婚しただけに過ぎないのではないのかなと思いもしました。ぶっちゃけおもちゃ扱い。奥さんって名前のおもちゃ。やたらキスシーンが多いのもこの映画の特徴といえば特徴で、今までのジブリ映画がこのような直接的な行為や言動(「来て」には物凄くビビった)はせず(ポニョは除く)、さりげない動作とかで感情の機微をあくまで間接的に表現していたのに、あえてキスを連発したりセックスを思いっきり匂わせるのは、そういう表面的なところでしか愛情を示せなかった、もしくは奥さんおもちゃとしての愛情は持っていたけれど、本質的に伴侶としての愛情は抱いていなかったからではないかと思ったのです。

「美しい」奥さんがこの世からなくなってしまうのは嫌だから、電報で駆け付けたりすんのかなあと。

彼は全く人間的な感情を持たない人間ではないけれど、だけど彼の本質は美しいものを好む天才。美しくなければ彼の傍にはいられない、だから菜穂子は朝に化粧を施すし、死の間際、つまりもう美しくはいられない自分を悟り、零戦を作り上げた二郎の元から去っていく。

零戦を作ったその期間と、そのために美しくあった菜穂子の時間が、彼ら二人の「人生の創造的時間」であったのだろうなあ)

夢を追うことは確かに「美しい」けれど、そのために犠牲になるものがある。

煙草なんて、そのメタファーとして出てきたものじゃないかと勘繰っています。

二郎や本庄(ところで、腐女子の方としてはどっちが攻めでどっちが受けなんでしょうね?)ら天才はよく煙草を口にする、仕事の時など特に。ご存じのとおり、煙草は自らと、そして周囲の健康も害します。よく批判に上がるラスト近くのシーンでも、仕事をしている二郎は容赦なく煙草を吸います。天才は没頭すると周りなんか見ない、相手が死にそうなくらい苦しんでいても。モノを作るってことは、偉そうに見えても罪深いこと。それに気づくか気づかないかはともかくとして。

ラストシーンの二郎さんは、妻と美しく作り上げた飛行機を失い、やっとそれに気づいた感があります。夢の中でも人間っぽい考え方。

でもそこは彼の夢です。自分の中の菜穂子に赦しを請い、赦される。エゴい。自分勝手にやって成果は得たけれど、なんかいろいろなくなっちゃったから、最後には罪悪感を感じ、だけど自分で罪を許すエゴい人のお話。

そんな話なんだと感じました。

雰囲気映画だけど、いろいろ考えさせられることがあるかんじ。

こう書くと最大級の賛辞のように聞こえるけれど「風のような」映画なんだと思います。

風に当たった感覚は長く残るけど、風そのものに形はなく、行き先も知らない、そんな風属性映画でした。

才能ってどこにあんの?

絵が描きたいと思い立ち、とりあえずは要らないノートや余ったメモ帳なんかにシャープペンで何かしらかを描いたりすることがある。

正直、下手である。

自分が下手だという事実を認めたくなくて自分の絵から目を逸らし、同時にやる気も失せてペンを机に放る。

そしてまた、素敵な絵が描けるようになりたいと思い立って、適当な紙とペンを持つのだけど、同じことを繰り返す。

私は、絵が下手だ。こんな言葉を使いたくなんてないが、そもそも才能がない。

それを自覚したのは、小学校高学年の頃だったと思う。

 

絵を描くことは幼いころから好きだったようだ。

物心付かぬ頃から「かみー! えんぴつー!」と叫んで走り回り、手にしたコピー用紙と鉛筆を手にたくさんたくさん絵を描いて、鉛筆を持ったまま紙と机に頭突っ伏して寝ていたらしい。

描くという行為そのものが好きなのは、今も昔も変わらない。

ただ、昔から自尊心だけは高い人間なので、人と違うものが描けないことと、そもそもちっとも上手く描けないことが凄く悔しかった。

小学5年生くらいの時に、仲良しな子たちが集まって、マンガやゲームのキャラではない、オリジナルキャラクターを考えて描こうって感じのことを休み時間にやっていた。

私はどこかで見たことがあるキャラとか絵しか描けなかった。自分で分かっていたし、友人に指摘されたこともある。

小学生の描く絵なんて、何かしらのメディアの影響を強く受けていて、絶対的なオリジナリティを持つ絵やキャラなんて天賦の才でも持っていなきゃ出来ないと思うんだけど、悲しいかな、「天賦」まではいかずとも、(私から見れば)確実に才能を持っている子が同学年にはたくさんいたのだ。私はそれを中学生になってから思い知ることになる。

 

中学校では、運動部か美術部かをそこそこ迷って、結局美術部を選んだ。

詳細に書くと冗長な文章になるのでざっくり書くけれど、要は才能がある奴らばっかり入部してたんだ、その美術部。

私の学年で美術部に所属していた子は、私を含め15人。

そのうち12人は3年間で何かしらの賞を獲った。私は何も獲れない3人のうちの1人だった。

(月1回の全校集会での賞状授与の際は、誰かしらが檀上に上がっていたと思う。

 名門っぽく見えるが、全員が多かれ少なかれオタクっぽい資質を持っていたので、全くそうは見られていなかった)

今にして思うと(これは悪い方の思いで補正が掛かっている)、顧問の先生は才能を愛する人だったんだと思う。

というか、同学年で意外な着眼点や独創的な発想をする人たちが多かったから、ありふれた思い付きしか出来ない私なんかにはあんまり時間を掛けたくなかったんだろう。

最初に描いて色を付けた絵を、絵はお前の人形遊びじゃないって言って怒鳴りつけたし。保護者の部活参観の日だったので、母にも叱られた記憶がある。

なんでお前はこういう画一的な視点しか持ってないの、こうは考えないの、違うでしょここはこう塗るんでしょ!って何度も遠くから叫ばれて怒られた。

先生のいないときは、友達とオタク的な話が出来て楽しかったけれど、先生がいるときは、いつ怒鳴られるかが怖くて、正直なところ、作品制作が進まなかったし、私だけ進行が遅くてコンクールに出せないってことが時々あった。

他のみんなは、本当に上手かった。そしてそういう人は、やっぱり先生に褒められていた。

3年生になった春ごろに、毎年市で主催している写生大会があって、その時先生に、

「お前たち、今年こそは賞を獲るんだよ、その実力はあるから」と言われた。

結局賞は獲れず、でも先生の言葉に焦り、入賞、入賞と呟きながら絵を描いていたら、

「入賞するかしないかは問題じゃない、絵はそうやって描くものじゃない」

って言われた。今にして思うと訳わからん。その頃の私は愚かしいほど素直で言葉の裏とか考えない馬鹿だったので、鵜呑みにしたけれど。

 

結局長くなっちゃった。なんか絵がうまい奴らばっかりいる美術部に入っちゃって、ここでもうまく描けなくて、先生にも怒鳴られて、絵はともかく美術はもういいやってなっちゃったんだと思う。うん。

 

コンクールに出せば毎回入賞!ってくらい才能のある子が3人くらいいた。

当時(今でも?)私のいる街に美術学科のある高校はなく、3人とも普通高校に通った。

その後、美大に入った子は2人。

1人は主婦の傍ら、街のフリーペーパーか何かにカットを描いているらしい。

もう1人は映画を作っているそうだ。

賞を獲る人たちは、私からすれば遠く、だけど大きな存在で、すげえないいなすげえなうらやましいねたましいと思っていたけど、その中でも美大に行くような人間はちょっとしかいなくて(それでも12人中2人だからそこそこ割合高いか)、さらに曲がりなりにも?芸術の世界で食って行こうとしているのは1人だけ。しかも、大成できるかどうかは分からない。

芸術で食っていけなくてもいいから、ちょっぴりだけの才能、ほしかったな。

努力嫌いの私のような人間にはなくて必然だろうか。

 

今現在、私はまた、絵を描こうとしている。絵というかイラストね。

きっかけは、(自分から見れば)才能の塊が、真横でイラストをいとも簡単に作り上げていく様子を見て、どうしようもなく触発されたから。ちなみにこの人は美大等には行かず、普通の大学へ行った。

ほんっとーに上手い。ふわふわしていて可愛らしい絵を量産している。

私が思いつかないような構図やポーズで、十中八九が可愛い!って連呼する絵をあっという間に描き上げる。

最近(と言っても1年くらい)、彼女と食事したりネカフェに籠ってなんかする機会が多いので、メイキングだ!リアルタイムだ!と思って見るけど、レベル差ありすぎて参考にならない。

今となっては才能なんてどうでもよく、結局努力しなけりゃ得られるものなんてないんだから、好き勝手やって、自分の満足する絵を描けるようになればいいかなーと思ってる。やっぱり人に認められたいって気持ちもあるけれど。

ああ落としどころが分からない。

才能って憎たらしいものは、ある人には溢れるくらいあるし、ない人には涙も枯れるほどない。私はない側の人間。

でも、才能を持っていても、それで生きていけるかなんて分からないし、芸術とかエンターテイメントの方面は結局のところ、自己満足するかしないかなのかなと思うようになってきました、ここ近年。

だけどだけど、そう思うようになるには時間が掛かったなあ。

 

あ、才能なんて関係ないとか、結局才能なんてみんな同じで個人の努力の差だとかいう人がいると思うけど、それは「出来る」人間が上から下を見下して言う残酷な言葉だと思います。

努力するかしないかってあるけれど、うまくなっている実感が得られなければ、努力する気にもならないよ。

お盆の行先

私の父は県北部、母は県中部と、地域の違いこそあれ、生まれた県は同じである。

私も父母と同じ県で生まれた。

ぬくぬくのうのうと育てていただき、今でも親許を離れずに、生まれ育った家で暮らしている。

自立をしたいが経済的に無理だし精神的にも踏ん切りがつかぬ、という話は気が向いたときにしよう。

世はお盆真っ盛りである。

そろそろ下りの新幹線は落ち着いた時期だろうか。

この時期になるときっと、東京駅のホームに各局のカメラが集まって、東京土産らしきものをたくさん抱えた、いかにも幸せそうな家族連れを捕まえて(就学前の子どもがいるところがターゲットになりやすい)、お盆はどのように過ごされますか?などと恒例の問いかけをする。

回答もおおよそ決まりきっている。先祖のお墓参りをして、とか、久しぶりなのでゆっくりします、とか、そんな内容。

お約束のやり取りだけれど、私には分からない感覚なのだ。

私のようなケースはそう珍しくはないと勝手に思っているけれど、だけど私は私と同じな人と出会ったことがない。

もしかしたらあるのかもしれないけれど、お盆の話はしなかっただけかもしれない。

サービス業等ではない限り、大抵のところはお盆ってお休みだから、その期間に会わなかっただからなのかも。

 

父の実家と母の実家はそれなりに離れているけれど、でも、それなりってだけだ。

それなりってどれくらいかというと、車で30分くらい。それなりに、近い。

実家にはお仏壇があっても、お墓はない。当たり前だ。

だけど、各家や親類のお墓のどれも県内にあるし、変な話だが、アクセスがいい場所なので、両家をまわって、すべてのお墓をまわっても、一日あれば十分に終わってしまう。

小さい頃の私は、普通の人が過ごすお盆がうらやましかった。

ちょっとした旅気分で、空気のいいところに帰るんだろうなあって。

もしかしたら、都会の人たちにとって、地方にある両親の実家や、そこに住む祖父や祖母といった存在は、特別なものかもしれない。

私にとっては、そこまででもなかった。父方の祖父の家(今は伯父の家)には自宅から歩いてせいぜい15分のところに位置しているし、母方の祖父の家も車で行けば30分ほど、電車を使っても1時間くらいで着くようなところだった。

どちらの実家も、ちょっと歩けばコンビニがあるくらいの街にあった。

普通の人のお盆や祖父母の家が、非日常の中にあるとしたら、私のお盆や祖父母の家は限りなく日常に近いところにある。

あと、父の家がしきたりにはちゃんと従う家(古い家です、一応農家でした)なので、お盆はもちろん、春秋のお彼岸にもちゃんとお墓参りをする。

私たち兄弟が社会人になり、お休みの日がばらばらになった今は、両親二人だけでお墓をまわるけれど、昔は朝早く(4時半!)に起こされて、眠い目を擦りながら兄たちとともに後部座席に押し込まれ、鮮烈なまでの青臭さを放つ切り花を抱えさせられ、山の上にある父方の墓地に、家族みんなでお墓参りに行った。

お彼岸のときも同じような流れなので、冬場を除いて、およそ3,4か月に一度はそんなことをしていた。

この前行ったばかりじゃない、と思ったことも、実は何回かある。

幼心ではあまりその意味を分かっていなかったので、朝早く起こされて、線香を上げにいく儀式(というほどクラシカルなものでもない気がする)のようなものだと捉えていた。

本当に小さい頃は、死んだ人に祈る意味は分からなかった。

黒歴史を明かすと、小学校中学年くらいまでは自分は魔法使いだから、死んだ人もいつかは生き返させられると本気で思っていた。

小学二年生のときに、父方の祖父が亡くなった時も、本当にそう思っていたから全然悲しくもなかった。

小学校高学年になり、生まれたすべてのものはいつか死ぬという、世の理がやっと分かって、その時に祖父のことを思って泣いた。

親しい人が死んで泣くようになったのは、それからだったと思う。

中学生に上がって、母方の祖父が亡くなったときは号泣した。

亡くなった前の晩、お葬式の夢を見た。泣いて起きて、そのまま茶の間に行ったら、お祖父ちゃんが亡くなったのよ、と父母が話したことをよく覚えている。

 

私は普通の人のお盆がうらやましかった。旅行気分で、会えない人に会いに行けるから。

それは逆に言えば、旅をしなければ会いたい人に会えないということだ。

社会人になってから、三年くらい前に無職だった時を除き、私は盆休みを取らずにいる。

お盆はどうしても人がいなくなるし、私は地元の人間だから、休みは週末でも事足りる。まあ、近年は両親だけでまわることが多いんだけれど。

気持ちの持ちようなんて、ひどく曖昧なものだが、いつでも会えるし参りに行ける。

礼儀には反するのかもしれないけれど、そう思えば、地元で過ごすお盆が退屈なものだとしても、私は恵まれているのかもしれない、と感じるのです。